ひばりからこまどりの作業室

研究のあれこれについて。

自由学園・木村秀雄先生を偲ぶ会での「感謝のことば」

2月8日、母校・自由学園にて昨年急逝された木村秀雄先生のための偲ぶ会が行われました。そこでの卒業生代表の「感謝のことば」(一部改訂)を、以下に残しておきます。

個人的な文章のため、無断使用・転載はご遠慮ください。

 

 

10月11日、寒い雨に包まれた仙台で先生の訃報に接しました。ご家族の皆さん、あの日から怒涛の日々でしたね、何度目になるかわかりませんが、謹んでお悔やみ申し上げます。併せて、今日この場を準備してくださった学園に感謝申し上げます。

 

ここを卒業する時、大貫隆先生がおっしゃってました。「二井さん、運命っていうのは、自分が信じたものがそうなっていくんだ」と。ほんとかな。疑ってたけど、でも本当みたいです。偶然的な出来事を一つ一つ繋げて縫いあげる、物語る。物語ることで初めて、生者も死者も、この世界で生き続けることができるのかもしれない。

 

先生。実をいうとまだ、あなたのことをうまく過去形で話せない。いま、遠くの場所のたくさんの人の死と、身近な人の死が、わたしという生の場所の中で、同時に起きています。遠くの人々の生は公的に嘆いているのに、先生のための私的な哀悼を、私はまだできないでいる。時制の一致しない弔辞。でも、それこそが喪の作業なのでしょう。泣き言も甘えもまだ言っていたいけれど、先生はもう、きっとそれを私に許さない。けど、きっとあきをなら大丈夫って笑うだろうな。だから私はいま、あなたを哀悼します。しぶしぶこの運命に身を委ねて嘆き、あるいは進んでこの運命を選び取って、先生を哀悼します。

 

木村秀雄先生はラテンアメリカを中心とする文化人類学をご専門とし、日本国際協力機構JICAにて青年海外協力隊派遣事業に携わられながら、学園、東大をはじめ様々な教育機関で教鞭を取られてきました。木村先生のことをある方はこう評しています。「ディグニティのある顔立ち」。あったよね、顔にやたらとディグニティ。

 

Kさんと大貫先生曰く、1995年ごろ、木村先生と駒場キャンパスで偶然会い、大貫先生から羽仁翹先生に紹介して学部に招いた、とのことでした。以来、木村先生は学部のために尽力すると決めていた、と伺いました。学園での教育については、先の室永先生のお話の通りです。学園には研究室がないため、頻繁にご自宅の一階を開放してご指導いただきました。Kさんには、いつもサモサなど、温かいお食事を振る舞っていただきました。

 

2004年。この年、木村先生をはじめ駒場の教員が協力して領域横断型大学院プログラム「人間の安全保障」プログラム通称HSPを開設しました。「人間の安全保障」のコンセプトは、「人間中心の政治」です。世界の安全保障の考え方は、基本的に国民のため、あるいは国民が属する国家のためのものです。国境、文化、言語が一致し、国家の繁栄と防衛を為す健常的存在のみを「国民」とみなし、マイノリティには同化を迫る。それができなければ国民として認めず、法律の保護の外へと排除する。国民の中にも階級がある。社会的、経済的、宗教的な差別を受けるグループもいるし、女性やセクシュアル・マイノリティ、疾病・障害を持つ人への差別は、世界中まだ残っている。冷戦終結後、難民が急増し、グローバル資本主義は、そうした人々の移動を加速化させました。マイノリティの人権も守るにはどうしたらいいのか。「安全保障」の主語を、国家・国民から個人・人間に変えれば、政治的課題の捉えられ方も変わる。そうして考えられたのが「人間の安全保障」です。

 

HSPには2つの特徴があります。一つが人材養成を重視していること。研究者を育てるだけではなく、国際機関などでの実務経験を持つ人、あるいは今後持ちたい人々への教育を謳い、現場での実践経験といった国際貢献と、大学院で学ぶ知識や理論との双方を融合させた研究を推奨しています。もう一つが、学際研究、領域横断型研究を打ち出している点。言い換えればリベラルアーツを重視していること。

 

木村先生がよく、HSPの講義で話すエピソードがあった。ある国で、ココナッツの収穫で怪我をする人が多かった。怪我をしてしまうと食糧の安定的な確保もままならず、経済的な打撃も受けてしまう。そこでJICAとスポーツメーカーとの協力のもとで、修理も簡単にできる安全装置を作った。整理すると、まず食糧確保の困難という、現場の課題がある。その解決には、対象の課題をめぐって、いつまで誰に、どの程度の影響が出るのか、何か、どこが解決やゴールになるのか、予測するための知識も、小さな出来事を鳥の目で見渡す、大きな枠組みを考え抜く力も必要になる。その枠組みや知識は、一つの専門分野に収まらない時がある。つまり、複数の学問領域に跨った知見――リベラルアーツの視点――が必要になる。そういうことをHSPはやるんだ、というお話でした。

 

先生にとって活動と知識の両立、すなわち実践と思考の両立は大切なテーマでした。他の場所も大切にされていましたが、共にリベラルアーツ教育を基盤とする学部とHSPは、先生にとってまた違った意味を持つ場所だったように思います。ちょっと身も蓋もないですが、学園には実践に満ちているけど、知識がない、と、よく話していました。だからこそ、HSPと学園での教育は、先生にとって特別な意味を帯びていたと思います。

 

思い出せば学園も駒場も、先生のゼミには女性が多かった。ジェンダー関係なく教育、育成にとても熱心でした。先生はフェミニストかと言ったら、本人は否定も肯定も恐らくしないでしょう。優秀な女性は大勢いるのに、なんでチャンスがないんだろうね、僕はいつも不思議なんだ、と憤るでもなく、いつも言っていました。

先生は人権、つまり、人は確かに、生まれながらして平等で自由であるはずなのだという、世界がいまだ、完全に実現することはできていない、この概念を、その知識と活動によって、とりわけ自由学園での教育や機関運営において、実践されてもきました。本日、この場に立った中で女性が多いのは、その稀有なる遺産なのかもしれません。

 

2015年のちょうど今日、私は大学院入試の2次試験を受けていました。2次は対面15分程度の面接でした。木村先生に「何も持っていかなくていい、私服でいけ」と言われ、ピュアだった私は、当日私服で何も持たずに会場に向かいました。控室では皆、リクルートスーツで卒論を開いていました。愕然としていると木村先生がやって来て私に「卒論は持っていないんですか?」と聞いてきたんですが、私は声にならない声で「持ってきていません…」と言いました。10人くらいの先生が座る会議室に誘導され、「この子、卒論、忘れたそうです」と一言言って、先生は去っていきました。地獄の面接が終わって、会場のトイレ――これまた後ろに振り返るのも大変な、ものすごく狭いトイレがあって――そこで号泣して帰宅しました。もう一生、木村先生のことは信じないと思いました。

その後なんとか入学を許されたわけですが、数年経ってから、木村先生は「私服で何も持たないで行ったのはものすごいインパクトだった、俺のおかげだな」と笑っていました。先生の名誉のために言うと、後で相当反省はしていたかも、とのことです。今も職場の隣の棟にある極小トイレを使う時、先生を思い出します。

 

でも、そういうことがあっても一緒に笑っちゃう。先生はタバコを吸いながら出鱈目ばっかり言って、その出鱈目を私は律儀に毎度信じてしまう。先生との個人的な思い出は、正直そんなことばかりです。こういう時、よく息子のGさんのトリックスターの卒論を思い出します。物語の中で秩序を乱しながら、ハッピーエンドまで展開を加速させるキャラクター。先生に「面白い」と言われるととびきり嬉しかったし、「面白い」って言わせてやると思って過ごしていました。そうしているうちに今の私があります。同じく大学院へいき、映画論を学んで映像制作のプロデューサーになった兄弟もそうです。教え子たちはきっと皆そう。

 

ですが駒場と学園には明確な違いがあります。学園では、木村先生はご家族皆さんの父だった。学年としてはGさん、Iさんの間に私たち兄弟が入るのですが、木村先生は指導者でありつつ、私たちの学友の父でもあった。私と兄弟は、実のところ、お互いの間に埋め難い溝のようなものを感じていた時期があります。新約聖書に出てくるマルタとマリアの姉妹のように、お互いを洗足のマリアだと思って、お互いマルタのように羨んでいました。先生はそのことを感知し、兄弟の目線から、私たちの間に立ってくれた存在でもありました。

 

自由学園には、「家族」という奇妙な言葉があります。小さな班のこともそういうし、学園のコミュニティ自体もそう例えられることがあります。しかし、考えてみてください。特に現代の日本社会で「家族」とは、基本的に父・母・子で構成される、核家族のことを指します。家族とは父と母という異性愛的な関係をもとに決められている。同性のカップルはいまだに家族として認められないし、法的な家族は、父と母は同じ名字で、同じ戸籍に入ることが必須です。もちろん、家族的な温かみのある雰囲気、という理想的で楽観的な意味で、「家族」という言葉が学園では使われてきたのでしょう。

しかし、「家族」という言葉が繰り返し使われる――生活の中で繰り返し実践されることで、その言説上の意味は、やがてラディカルに、かつポジュティブに、変わっていったのではないか、とも思うのです。

「あの時私達、家族だったよね」という会話を、私たちはよく交わします。そこにはセクシュアルな関係は大方は存在しないし(もちろん存在したっていいはずなんですが)、血縁関係も大体はない。その関係が短い期間で解消されたとしても、相手を嫌いであっても、学園ではお互いの関係性をそれでも「家族」だと言う。別個の人間が集まり、相互に依存しつつ、一緒に協力して生きていくしかない関係性。そんな奇妙な集まりを、「家族」だといってきた。

自分で言うのも僭越ですが、10月に電話を受けて以来、木村家と一緒に私はいろいろな対応をしてきました。なんでそうしているのか。それは私にとって木村秀雄先生とは誰だったか、という問いでもあります。ご家族の皆さん、どうかお許しください。たぶん、私にとって木村秀雄先生は、指導者でもあり父のような、兄のような、もしかすると母も入ってるかもしれない存在なのです。実の父や兄として感じているとか、そういうことではない。父的な存在、兄的存在、母的存在がまぜこぜに縫い合わされた、たぶん広い意味での「家族」の存在でもあるのです。駒場ではそれはあり得ない。自由学園が、「普通」の学校ではなかった点の一つです。でもそれでよかったんだと思うのです。先生も、自由学園のいいところは「普通」、つまりノーマルじゃないところだよね、とよく言っていました。

 

先生は『アンティゴネー』が好きでした。東大の最終講義で取り上げたのも、フェミニズム理論家ジュディス・バトラーによる、アンティゴネー解釈でした。兄を埋葬して社会から逸脱し、見捨てられた女の、この言葉ほど、先生の人となりを言い当てるものを私は知りません――「私は憎しみを共にするのではなく、愛を共にするよう生まれついているのです」。悲劇の台詞を今日、この場で引用するのは相応しくないかもしれないけれど、先生はアンティゴネーのように、大きくて広い、強い、愛の人でした。先生は教育者として、また大きな意味での家族の一員として、私たちの前に立ち、私たちを文字通り時間と心を尽くして導いてくださいました。「人間の安全保障」を考える上では、明日を迎えるのがとても恐ろしい――すでに戦中にある、と言ってもいいところまで来てしまいました。

コロノスへと向かう盲目のオイディプス。その老オイディプスを、娘のアンティゴネーが手を引いて前を歩いたように、今度は、私たちが故人の意志に導かれながら、故人の言葉を受け継ぎ実践しながら、故人の手を引いて共に歩みながら、前を歩いていく番なのかもしれません。

先生、どうか安心して目を瞑ってください。先生、どうか、すぐそばで、前を歩いて生きていくご家族を、私たちを、見守っていてください。ありがとうございました。

 

代表してない卒業生 二井彬緒

 

研究用のブログを開設しました

Twitter ・Xにも限界がある、facebookは直接知り合っていないと報せにくい。

何かいいツールはないものかと考えた結果、ブログを始めてみることにしました。

続くかはわからないですが、ここでは

  • 研究活動の記録(自分のため)
  • 書いたもの、研究関心の宣伝(対外的に)

を主軸にいろいろ書いていこうと思います。

参考にしたブログは以下。

まずMasunaga Naoさんのnote。

note.com

Masunagaさんのブログ、美術展やフランス・イタリアのカフェ情報もあって読んでいていつも楽しいです。卵子凍結の記事は大変参考になりました。

 

あとは小松原織香さんのブログ。

font-da.hatenablog.jp

こちらも更新されるのを待ち侘びてしまうブログ。

この映画について小松原さんはこう思ったのか、とか。

『当事者は嘘をつく』もですが、日々文章を書いてアウトプットするのいいな、とブログ開設のきっかけもくれたと勝手に思っています。

 

他にも人文系の若手研究者の方のブログって意外とあるのですが、いろんな方のものが増えるのもいいよね!てことでゆるく続けてゆきたい。